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May 2004

翻訳について

 あまりに古い話になってしまう前に取り急ぎ……

 先週のNHK「英語でしゃべらナイト」、ゲストが林望とのことで、録画しておいて見る。古いもの大好きなイギリス人と、それをちょっとケッ!と思っているアメリカ人の司会者がおもしろかった。
 
 だけど、そんなことを吹き消してしまうくらい腹が立ったことが一つ。女優の中井貴恵さんが、今、絵本の翻訳に取り組んでいるという。アメリカでの生活経験もあるとのことで、女優さんならではの言葉感覚もあるだろうし、結構なことだと思う。
 だけど! 「おおきなかぶ」で、かぶが最後に抜けるところ、原文「Pop!」を「ばひょーん」はないんじゃないの。どこをどうすれば、はじけるような「Pop!」が「はびょーん」になるんですか? ご本人、工夫したところだとおっしゃっていましたが、そんな工夫なんていらない。普通に「ポン!」とでも訳せばいいじゃないの。

 別に中井貴恵さんの個人攻撃をしたいわけではなく、なんだか最近こういう「翻訳者の工夫」を持ち上げる傾向が強い気がして。
 たとえば、ハリー・ポッターで、「挿絵を付けられないから工夫した」とおっしゃる、太字の乱用。一見して原作と全く雰囲気が違う。
 それから、amazon.comのスティーブン・キングの「小説作法」のところには、わたしもコメントを投稿しているのだけれど、それは、翻訳を読んで後にも先にもないくらい怒り心頭に発したから。著作中、キングは「易しい言葉で書け」と例まで挙げて再三主張しているのに、翻訳者は終始小難しい言葉を使っている。司馬遼太郎でもないと使わないような。それも、「翻訳者の工夫」なんでしょうかね。

 わたしは英語も翻訳も専門家ではないから、こういう「一見して明らか」なものしか気づかないんだけれど、翻訳の本質って何なんだろうと思ってしまう。
 やっぱり「その作品を原作で読んだ時に受けるであろう空気、イメージをなるべくそのまま伝える」ってことではないか。一字一句の直訳でそれができればそれに超したことはないけれど、普通は無理だから、そこを「翻訳者の工夫」で、なるべく読者の印象が同じになるようにする。言葉に寄りかかったしゃれがあれば、日本語でしゃれになるようにするし、「難解な話」なんかだったら漢文に近いような文にしてみるとか、そういう「工夫」なら歓迎する。

 だけど、ごくごくスタンダードな破裂音「Pop!」を「ばひょーん」にしてしまうとか、原作者がやっていないこと(太字)を全面的に多用するとか、原作者の主張と正反対の文体を使うとか、そんなのは「工夫」でも何でもない、ただの「勘違い」だ。
 ただ、個々の翻訳家が「これは私の味だ!」と主張するのまでは否定しない。わたしはいやだと思うし、できたら、出版社はそういう翻訳者をいさめて、ほどよいところで落ち着くように調整してもらいたいけれど。

 わたしが腹が立つのは、「それを工夫だと賞賛する」と言うことだ。ハリー・ポッターの時なんか完全にそうだった。中小出版社としての苦労を乗り越えての出版、というサクセスストーリーとともに、「翻訳者の工夫」もあちこちで吹聴され、賞賛されていた。
 「おおきなかぶ」の場合も、翻訳者が中井貴恵という女優だから許されたわけではなく、一人の翻訳者の工夫として、受け入れられていた。それは中井貴恵にとっても、これから翻訳を目指す人にとっても、「公平な土俵」があるという意味で結構なことだ。
 でも、すると、ああいう「工夫」が、今、出版業界で完全に受け入れられている、あるいは、よしとされているということになるのではないか。

 いらない「工夫」などしなくても、原作をきちんと伝えられ、読者を楽しませることができる、そんな翻訳を読者は望んでいると思うのだけれど。

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「コッペリア」

 熊川哲也Kバレエカンパニー「コッペリア」、水曜に大宮ソニックシティで見てきました。
 よかった~! 
 「コッペリア」は初めて見る演目なんだけど、こういうコミカルなバレエも楽しいですね。
 浮気性のフランツは、けっこう熊川さん地でやってるような…… 王子様王子様した役よりも合ってる感じでした。
 スワニルダはトリプルキャストらしいですが、大宮では康村和恵さんでした。すごくほっそりとした人で、これまでは、はかなげな印象でしたが、こんな明るい、気の強い、コミカルな役ができる人だったんですね。すごくかわいくて、見とれちゃいました。「新境地を開いた」って感じですね。
 だけど、一番よかったのがコッペリウス博士のスチュアート・キャシディ。芸達者という感じで、カーテンコールまでなりきって演じてました。

 日経で、熊川さんは「世代のギャップ」というようなこともあげていたようですが、すると、見ていて感じた「傍若無人な若者たち」って言うのは、ある程度意識的に作ったものなんでしょうか。
 「哲也さま~」よりもストーリー重視で見ている私はもう、コッペリウス博士がかわいそうで、かわいそうで、涙が出そうでした。スワニルダたちにさんざんいじり倒された人形:コッペリアは、それ以前は人間が演じていたのに、ぐったりとした木の人形になってしまう。いくらかわいいドレスを着せてもらっても、もう人間が演じることはない。何かが決定的に失われてしまった、ってことか? なんて、うがちすぎかもしれませんが、すっかりコッペリウス博士に肩入れして見てました。
 最後、また白い煙とともにバルコニーに姿を現すってことは、こりもせずに人形を作り続けている、それに魂を込めようとしている、ってことでしょうね。そこは、救いでした。

 *****
 バレーボール男子、残念でした。
でも、それ以前、「それでもオリンピックに出場するための条件」というのをテレビでやっていたらしい。中国が全敗、とかすごく厳しいやつ。それを見ての感想が、某巨大掲示板のサッカーのところに書いてあった。
 「もうあきらめてやれよ」
 すごい表現。日本語だな~と思う。こういう「やりもらい」表現に日本の味がある。「あきらめろよ」でもなく「あきらめるのが親切だ」とかでもない、微妙な表現。以前書いた「幸せだと思っていてくれた」という表現と同じくらい好きだ。
 日本語人でよかったな。

 *****
 ページのデザインを変えて、コメントの履歴が表示されるようにしました。「近代化」のところにNOCOさんのコメントが付いているのに、今気づく。失礼しました。これで今後は大丈夫だと思います。

 Loss Time テレビ埼玉GGR(Go Go Reds)を見て、PCの前に戻る。
 マイウエイを熱唱するペトロビッチ、すてきだ。いつかかならずレッズに戻ってきてね。

 

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漫画三昧

 土曜日と月曜にコミックを7冊買った。しかも、新刊で。
  長岡良子、河村恵利、のコミックで、買いそびれていたものと、湯口聖子のコミックを1冊。

 ここ何年か、コミックはできるだけ古本でと思い、この1,2年はそれもあまり買わなくなっていた。(「20世紀少年」と「クリスタルドラゴン」、川原泉は新刊で買ってるけど。)

 じゃあ、なんでこんなに一気に買ったのかというと、湯口聖子さんが最近は同人誌に舞台を移しているというのをネット上で読んだから。もちろんご本人の意志かもしれないし、勝手な思いこみで同情などするのはおこがましいが、歴史ものが好きな読者として、危機感を持ったのです。
 3人とも、秋田書店というどちらかというとマイナーな出版社で書いておられるし、その中で歴史漫画というのがどういう位置づけなのか分からないけれど、これからも歴史漫画を読んでいきたいと思っている人間としては、ささやかな意思表示、貢献をしようと思いました。
 
 湯口聖子さんは鎌倉、北条氏が好きで、それを題材とした漫画を描いている。正直言って、少女漫画少女漫画した絵がちょっと苦手で、1冊買っては「どうしても、好みじゃない」と思って、他のを買わずじまい……となってしまうのですが。(今回もそう思った)だけど、やっぱり鎌倉時代という小説でもマイナーな時代を扱っているのは非常に貴重です。私は比企氏に興味があるんだけど、たしかこの人の漫画に扱ったものがあったはず。今回買った「明日菜の恋歌」は北条時行が主人公。歴史では「中先代の乱」と一行でかたづけられてしまう事件が、これほど長期にわたっていたものだとは、知らなかった。以前買って、手放してしまったものもあるんだけど、もう一度そろえようかな。幸い地元の本屋にはそろってるようだったし。(でも、絵がな~)
 鎌倉幕府滅亡を描いた「風の墓標」は傑作です。少女漫画っぽいキャラクターも、題材の悲惨さのせいで気にならないし、歴史好きな男の人もチャレンジしてみたらどうでしょう。

 河村恵利さんは、絵も好み。キャラクターは割と類型的、というか、気に入っているタイプのキャラクターをいろいろな人物に使っている感じ。手塚治虫の鼻が大きい人(猿田彦etcとか)みたい。この人は、本当にマイナーな人物、出来事をよく拾っていると思う。基本的に短編なので、一体、どれほどの時代、人物が登場したんだろう。もったいない、長編にしちゃえばいいのに、と思ってしまうくらいいろいろな人を扱っている。素材を贅沢に使いました、って感じか。
 基本的にこの人も、平家、戦国、あたりの中世が専門。「明日香の王女」のような古代も描いてるけど。
 資料リスト公開してくれないかな。

 最後の長岡良子さんは、もう、歴史作家の中で一番好き。小説も全部ひっくるめて。
 この人は「古代を古代として描ける」希有な人だと思う。
 里中満智子さんの「天上の虹」と、長岡さんの「眉月の誓い」がほぼ同時代を描いていて、大学の頃、続けて読んだ。
 その時に思ったのは、里中さんは古代を現代人の視点から描いている、雑誌「プレジデント」みたいだな、ということ。つまり「古代女帝に学ぶ現代女性の生き方」って感じ。
 一方、長岡さんは「ああ、なんて現実感があるんだろう」と思った。ところが、よく考えてみると、里中さんの漫画には非現実的なことはいっさい出てこないのに対し、長岡さんの漫画には「超常力者(超能力者)」とか三輪山の神などが出てくる。だけど、わたしは長岡さんの方が「現実的」だと思えた。これは、正確には「まことらしさ」だと思う、現実と真実はちょっと違うけど、この「真実」の方。 古代人の「真実」はこちらの方なんじゃないかって、思ったのだ。

 これはあくまで好きずきで、現代の感覚が入っていなければダメ、と言う人もいるんだろうけど。

 長岡さんは、飛鳥、奈良時代から平安、それに古代エジプトを題材にした漫画を描いてます。どれも傑作揃いで、今、文庫版も刊行中なので、ぜひぜひ読んでみてください。
 
 大正時代を扱った「断章」とか、古代ものの「闇の天子(?)」など、中断している作品もあります。どうか、どうか、完結させてください。もう15年以上待っています。(「断章」の連載を最後に読んだのは、瀬戸内海を渡るフェリーの上だったなあ。当時は長岡さんを知らなくて、サークルの先輩に見せてもらった)

 近頃は、中世に凝っていて、田中貴子「あやかし考」、細川涼一「逸脱の日本中世」なんていう本を続けて読みました。
 「あやかし考」は道成寺の話がおもしろかった。乱暴にまとめると、安珍清姫の話は、道成寺が宣伝のために流布したもの、という考察。道成寺に行った時に聞いた、絵解きを思いだした。黒こげの安珍は、必見! 絵巻の絵はがきを買ってきたのに、最後のシーンだけない。元からないのか、なくしてしまったのか……記憶にない。
 それから、安徳天皇が女性だったという説について。「義経千本桜」に女の子として天皇が出てきて、不思議だってけど、そういう説が広まっていたんですね。
 淀殿が神話的水の女の系譜を継ぐ者か、と言う説は、昨日(24日)の毎日新聞の夕刊、井上章一氏が紹介していたけれど、この本の中ではあっさり、最後に軽くふれてある程度。続きを読みたいと思う。

 (しかし、「つづき」と打つと、まず「都築」が出てくるうちの一太郎《レッズの選手名です、一応》)

 「逸脱の日本中世」は、男色のために寺院に売られてくる稚児、が一番衝撃的だった。まあ、別に初めて知った事実でもないが、しかし、寺でしょう!と言いたくなる。男色の相手として愛されたために、成人して大人の男になることができず、自殺してしまう大児たち。
 一人旅の女は「もの狂い」であり、伝説となる女は多く「二人連れ」というのもおもしろかった。この辺も、なんか物語にりそうなんだけどな~
 

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5年の月日

 5年という時間の長さは、もちろん、いつでも、どこでも、誰でも、変わることがない。だけど、0歳と5歳、小学校1年と中学1年、などの5年間が、非常に大きな変化のある時期であるのに比べると、28歳と33歳、50歳55歳、社会人3年目と8年目は、あまり変化を感じないだろうし、ぼーっとしているとあっという間に過ぎてしまう。 
 すでに、30代半ばの私の感覚でも「えっ、あれもう7年前?」って感じ。

 じゃあ、場所の5年間はどうだろう? 学校は? 古ぼけてもいないけれど、新しくもない教室、10年前と同じ授業ノート?という感じのベテラン教師。 古びた学校前のパン屋。
 学生の顔ぶれは変わっても、学校の風景はほとんど変わらないだろう。

 と、思ってました。ところが、そうじゃないんだと、タグチさんのブログを読んで知りました。
 トランプをやっていただけで退部させる鬼顧問(?)が穏やかな紳士に変わっていたり、「新しくできたきれいで、明るくて、あか抜けた店」が「古ぼけたパン屋」に変わっていたりする。

 以下、すべてタグチ先輩のブログ「白亜堂とマム」を参照の上、お読みください。
 
 そう、私は、タグチ先輩が教育実習にいらした時の後輩です。
 「鬼顧問」の変化については、こちらこちらを参照していただくとして、マムの話。
 私たちは「マム」を「マム屋」と呼んでいました。そして、マムのおばさんは「マムばあ」。
 当時は、10代の残酷さで、年配(と言ってもせいぜい50代)の方々を、女性は「~ばあ」、男性は「~じい」と呼んでいました。たとえば、平×先生なら「平ばあ」、宮×先生なら「宮ばあ」、図書館の司書の先生は「(図書)館ばあ」、保健室の先生は「ほけばあ」、直×先生は、「直じい」……
 「マム屋」「マムばあ」フレッシュさのかけれもない呼び方ですが、その通り、私たちはあそこを、古ぼけたパン屋と認識していました。(実際には、当時そこまで意識はしてなかったけど、ずっと前からあるんだろうと思ってた)
 マム屋の思い出と言えば、チロルチョコにかにパンにチェリオ。チェリオについては、私は炭酸飲料を飲まないのですが、瓶を持って行くと10円かえってくるので、美術部の人たちを学校の周りを探して部費の足しにしたことがありました。
 それから、なんか古そうな絵が掛かっていましたっけ。(前からあるものはずっとあるもの、というのが当時の認識)
 マム屋は基本的におばさん一人でやっているので、店番がいない時には、丸い缶がおいてあって、そこに商品のお代を入れ、おつりが必要ならそこから取る、そういう風になっていました。そのやり方も、いかにも素朴で、古き良き時代から続いている方法と思えました。

 そして、白亜堂などというお店があったことは、噂にも聞いたことがありませんでした。

 5年の間に「100年前から存在して、100年後もそのままであるはずだった店」は、影も形も、通学路からも学生の記憶からもなくなり、「新しいフレッシュな店」が、100年とは言わないまでも、「30年(くらい?)前から存在して、30年後にもあるはずの店」になっていたんですね。

 今回、タグチさんのブログで、ようやく分かった!と思ったことが一つ。 先日(このやりとりのきっかけになった時)、マム屋の前を通りかかったら、なかに色々写真やサインが飾られていたんですよね。在校生がスポーツなどで活躍した記念らしい。その第1号は、「甲子園でベスト4」になった時のもの。これは私の卒業した次の年だったので、ほぼリアルタイムで飾られたのを知っていた。その時は「やっぱりベスト4だしなあ」と思ったのだけれど、今では随分いろいろ飾ってある。
 それで「なんで甲子園以前は飾ってなかったんだろう」と思ったわけです。サッカーなんかでも、伝統がある学校だったのに。
 答は、「マム屋はそんなに前からなかった」なんですね。 確かに、私たちの在学中3年間は、野球もサッカーも、その他スポーツ、あまりふるわなかったものなあ。

 その後、 「~ばあ」「~じい」という悪しき(?)伝統は、今はどうなっているのでしょうか? 皆さんもう退職なさっているはずですが、新たな「~ばあ」「~じい」は生まれたのか?
 
 考えてみれば、さいたま市の誕生とともに、学校名まで変わってしまっていたんでしたっけね。
 学校の先には、駒場スタジアムができ、そこをホームにするチームが誕生し、そこで活躍(とはまだ言えないか、がんばれ!堀之内聖)する後輩まで出てきました。
 卒業してから、5年どころではない、17年ですものね。
 
 だれか、また私たちのブログに答えて、マム屋や学校のその後を教えてくれないかな?
 
 と、言うことで、学校名を書いちゃいます。タグチ先輩には無断。
 埼玉県浦和市立高校です。(現市立浦和)
 正式名称がこれで、普通省略する「~立」を取ると、「高校」しか残らない謎の校名でした。

 さあ、後輩、先輩求む! です。

 (追記1 タグチ先輩、一生先輩から隠れていなければならないようなこと、書かないでくださいよ~ 会えなくなります)
 (追記2 いまとなっては「白亜堂」の方がしゃれた名前に思えます) 
 
 追記3 おお! 今見たら「白亜堂とマム」が完結している。 ちゃんと後輩も出てきましたね。
 
 
 
 

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ホームページソフトを再インストール

 本館を作るのに使っているジャストシステムの「ホームページミックス」の具合が悪くなったので、おそるおそる再インストール。もちろん、データのバックアップを取ってからしたのだけれど、データを戻してないのに、ちゃんと作成したページが残っている。不思議。不具合が直ったからいいか。

 私は、一太郎ユーザーで、ジャストシステムびいき。ジャストホームは、主にデジカメで撮った写真をアルバムにするのに使っているけれど、安くて、簡単で、優れものだと思う。レイヤー機能はないんだけど、そんなに凝ったものを作るわけではなくて、ただ、写真をいろんな形に切り抜いたり、飾りを付けたりしたいだけだから、ジャストホームで十分以上。(本館、イギリスアルバムをご覧ください)

 ただちょっと、ホームページミックスについては、「安物買いの……」だったかなと思っています。簡単なんだけど、テンプレートを使用したページしか作れないし、階層を付けられないから、旅行記なんかは大見出しとしては、一つにまとめたいのに、ばらばらになる。
 それから、他のソフトで作ったファイルもアップできるといいのに。同じジャストシステムの一太郎やジャストホームのアルバムにも、ホームページ作成機能があるんだから、それらと連携できるだけで随分使い勝手が良くなると思う。
 どうも、ジャストシステムとしては、このホムペミックスを継続して開発していくつもりがないようで、もう何年も前の製品のままパッケージを変えて販売している。まあ、承知で買ったんだけどね。

 少しずつでもいいから、ちゃんとバージョンアップして欲しいな。さっき書いた、ジャストシステムアプリケーション同士の連携とか。
 これからもサポートしますから、よろしくお願いしますよ。ジャストシステムさま。

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『黄門さまと犬公方』『源氏と日本国王』

 趣味の日本史の本2冊。
 山室恭子『黄門さまと犬公方』 岡野友彦『源氏と日本国王』
 素人なので歴史学会の動きなんていうのは、当然何も知りませんが、こういう本を読むと、日本史の研究も大変進んでいるのだなと思います。私たちが中高の歴史でならったようなことは、かなり覆されているのではないでしょうか。でも、その割には、教科書や一般向け通史などでは、そう言った成果があまり取り上げられていないような気がします。 まあ、こういった本の内容が定説となるには至っていないと言うことなんでしょうが、あまりに粗雑なきがするのも確か。

 閑話休題。
 
 『黄門さま~』は、本当におもしろかった。推理小説を読んでいるような楽しさがある。故に、ネタバレはしないことにします。ちょっとでも歴史に興味があって、ステレオタイプな「黄門さま像」「犬公方像」を持っている人なら、すごくおもしろいんじゃないかと思う。
 生類哀れみの令の実像が見えてくるし、なにより「歴史の作られ方」が見える。今の私たちの両者のイメージがいかに作られたか、両者を「名君と暗君」に分けてしまったのは一体なにか。
 この本の書き方は、本当に丁寧で、その説も非常に納得できるものだ。
 つまり、「~はAである」という根拠がしめされているだけではなく、「~はB(C,D,E……)ではない」あるいは「~はAではない、とは言えない」という根拠まで示されているのだ。これは、すごく良心的な書き方だと思う。

 ちなみに「黄門さま」のイメージはある意味、ドラマ「水戸黄門」に近かった。(芝居がったところとか)
 「犬公方」は…… この本が出て、彼も草葉の陰で喜んでいるでしょう。
 
 『源氏~』は、『黄門さま~』と比べると、やはり読者層は狭くなるかもしれない。でも、やはりすごくおもしろかった。一気に読んだ。
 この本で、今まで自分の中で曖昧だったこと「姓」と「苗字」の違いがはっきりした。「藤原道長」などというときの「ふじわらの」と「の」が付くのが「姓」、「北条政子」のように付かないのが「苗字」、とは、一応知っていた。また、徳川は「源氏」であり北条は「平氏」などというのも知っていた。だけど、あくまで何となく。
 たとえば、豊臣秀吉は、本来ならば「とよとみのひでよし」であって、「豊臣」は姓。つまり、彼の姓は「平→藤原→豊臣」と代わり、一方、苗字は「木下→羽柴」で、最期まで「羽柴」であった。
 また、女性は結婚しても、姓は変わらないが、苗字は変わった。だから、本来、「平政子」という姓名は変わらなかったが、苗字が「北条(政子)」のままだったというのは誤り。既に、姓と苗字の関係に混乱が生じていたからだという。

 っていうような話を「ほ~」と楽しめる方は、是非読んでください。話はこの後、「日本国王(主権者)」は「征夷大将軍」ではなく「源氏の長者」であった、と進んでいきます。
 また、織田信長や豊臣秀吉がなぜ将軍にならなかったのか。
 これは従来「源氏ではなかったのでなれなかった」と説明されてきました。が、この本ではなんとも壮大な仮説が出てくるのです。乞うご期待!
( 「治天の君」という言葉の意味も、やっとはっきりしました。あちこちで見かける言葉だったんですが)

 歴史ってやっぱり楽しいなあ。タイムマシン発明されないかな~

 久々に、本館の「創作」更新。
 「感染した雲」アップしました。旧作ですが……

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『ハッとしてトリック』

 鯨統一郎『ハッとしてトリック』一気に読了。
 いやはやくだらない(笑)
 新刊買ってしまいましたよ。普段は古本屋利用で、とくに小説類は図書館ばかりなのに。
 なぜかというと、この本の中で「浦和レッズが優勝している」と聞いた(正確にはどこかのHPで読んだ)から。それだけ。
 わくわくして読んだら、17ページですでに、レッズが1stステージで優勝をしていると判明。問題は完全優勝がなるかどうかか……
 その他、実名で選手がいっぱい出てきて、永井が点を取るし、エメも出てくる、おお!達也がA代表候補にいる!まあ、基本的に名前だけなんだけど。
 鯨統一郎は結構当たりはずれが多くて、警戒していたけれど、まあ、ミステリとしてもそれなりかな? 本格的なミステリ好きには物足りないだろうけど、電車の中でなにか軽く読みたい、という位のノベルズ読者なら、十分及第点をあげると思います。(ほめてない?)
 少なくとも、レッズが好きなら、にやにや読めると思います。というか他サポはやっぱり楽しくなかろう。
 だれかのページ(ブログ?)で、「動機に共感できた」とあったのは、「あっちの動機」、じゃなくて「こっちの動機」に共感したんでしょうね。
 肝心のトリックが、ある意味万人向きじゃないと思う。誰もが使えるトリックとは言えないというか…… すくなくとも私じゃ無理だ。

 さて、最期まで私の中で残った謎は、冒頭で架空の日本代表選手が死んで、その葬儀に、Jリーグ各チームのベテラン選手たちが出席する、という名前のリスト。みんなフルネームなのに、なんで山田と室井だけ名字だけなんですか?(浦和からは他に岡野)てっきり聞き込み先か何かに、「山田暢夫選手」とかで出てくるのかと思いましたよ。主人公の一人がレッズファンという設定で、かなりレッズが出てくるのに、不思議。

 鯨統一郎、レッズが好きなのかな? それにしてはあまりサッカーに詳しくなさそうだけど。

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RSC「オセロー」

 今日は仕事はお休み。
 彩の国さいたま芸術劇場にて、ロイヤル・シェークスピア・カンパニー「オセロー」を見る。
 14:00開演なのに、すっかり夜だと思いこんでいて、職場からちょっと問い合わせの電話があった時に、「○○先生も行くって、昼だけど」というのを聞いて、自分のチケットを見たら、私も昼だった。あぶない。あぶない。
 東京だったら完全にアウトでしたね。徒歩20分ほどの劇場だったから間に合ったけど。

 話は知っているし、オーソン・ウエルズの映画を見たことがあるからと、イヤホンなしに挑戦。
 うーん。
 イヤーゴーが少しずつオセローの心に言葉の毒をたらしていくのを味わうには、やっぱりイヤホン必要だったかも。でも、「背中の二つある怪物」とか「嫉妬の緑の目」とか「lie with her lie on her 」とかの決めぜりふ(?)はやっぱりはっきり聞こえる。それから、英語を聞いていると、デズデモーナの形容に、やたらと「fair(きれい&白い)」が使われているのがわかる。
 1950年代の風俗で描かれているため、軍服、基地の様子など生々しい。キャシオーが、イヤーゴーのたくらみで、同僚たちに酔っぱらわされ、シーツに入れられて振り回される所など、今のイラク捕虜虐待を思い起こさせられる。(初演時期からして、虐待事件を意識したはずはないが、イラクにおける米英軍という意識はあると思う)
 また、南方風の軍服を着た黒人のオセローは、どことなくアフリカか南米の軍事独裁国家の将軍を連想させる。
 イヤーゴー役の人が、小柄で、卵形の顔で、ちょびひげの気のいい小父さんって感じなんだ。そう言う人が巡らす陰謀や、悪意の蜘蛛の巣は、より一層悪質だ。
 オーソン・ウエルズの映画のイヤーゴーは、もっと若く、いかにも野心家という感じだった、気がする。10年以上前に1度見たきりだからあまり覚えていないけど。 
 映画の方が様式的だった気がする。重厚で陰鬱なオセロー、か弱く貞淑でいかにも薄幸そうなデズデモーナ、野心家で見るからに陰謀好きそうなイヤーゴー。
 (と、ここで映画のパンフ発見)
 イヤーゴー、若くないです。当時50歳くらいか。でも、髪を伸ばして、舞台ほど「小父さん小父さん」してない。
 デズデモーナやっぱり美人だ。無声映画のヒロインみたい。

 舞台は、もっとどたばたしてる。(悪い意味ではなく)嫉妬に狂ったオセローは、ひっくり返って気絶するし。変な話、映画版がお能だとしたら、舞台は現代演劇って感じだ。
 
 舞台のパンフレットにある、富田たかし氏の分析が非常に的を射ているように思える。
 つまり、イヤーゴーの問題は、「名誉や成功を強く求めていながら、それらを自分が決して手に入れることが出来ない、と思いこんでいた」ということ。オセローもまた、自分が本当に彼女から愛されるに足る存在だという自信が欠如していた。
 
 そうだよな~ オセローがちゃんと自信を持っていたら、あんな陰謀には引っかからなかったし、イヤーゴーが自信を持っていたら、あの口のうまさや陰謀力(?)を、成功や出世に使っていただろう。
 二人とも、自ら「悲劇」にはまりこんで行ったんだろうな。

****
 日本女子バレー、オリンピック出場おめでとう!
 試合を見ていて、自分がバレーのルールを全く知らないことに、今さらながら気づきました。点数の入り方、勝利の決め方は見ていてわかるようになりましたが、あの、一人だけ違うユニフォームを着ているのは、誰なんですか?キャプテン?
 

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『ナンシー関大全』

 『ナンシー関大全』読了。亡くなって、もうそろそろ2年になるのか……早いですね。
 私は、ドラマもバラエティーもほとんど見ないので、彼女のテレビ評論を見ても、知らない人、聞いたことはある人、ちょっとだけ知ってる人、っていう感じだった。それでも、雑誌などで彼女のコラムを見ると必ず読んだし、図書館でも結構借りていた。やぱり彼女の語り口に魅了されていたんだなあと思う。
 テレビの嗜好で一つだけ共通しているのは「大食い選手権」(テレビ東京限定)が好きだと言うこと。もともと「TVチャンピオン」が好きで、それほど多くはない毎週見る番組(他には、テレビ埼玉GGRとか……)の一つなのだけれど、最初は「大食い選手権」だけは敬遠してみていなかった。でも、一度見てみたら、なんか素直にすごい!と感動してしまいました。
 赤坂さん、新井さん、岸さん、小林君、中島君…… 今でも名前がでてくるものね。
 「食べ物を粗末にして」という批判は、それほどは当たらないと思う。大食いの方々は、一応みんな自分の体に入れているわけだし。コンビニやレストランで日々捨てられる食べ物の方が、本質的にも、量的にも「粗末にしている」のではないか。
 まあ、下品だ、悪趣味だ、見苦しい。という批判には、「ごもっとも」と言うしかありませんが。

 閑話休題。

 この本は、ナンシー関のコラムの代表作を集めたものなのだけれど、でも、一番心に残ったのは、彼女の両親の文だった。
 この本を読んでいる間は、頭の中が「ナンシー関モード(つっこみ&辛辣)」になっているから、「この柔らかな書き言葉と時折混じる方言は、はたして編集者の絶妙なブレンドだろうか?}などと思ってしまいもしましたが、それにしても、感動しました。
 子供を先に逝かせた親の、真摯かつ素朴な思いがつづられている。
 「やっぱり早く逝く子は違うんでしょうか。生まれたときから」
 彼女が子供の時から手がかからなかった、ということの後につづられている文中最後の言葉。
 これはやっぱり、子を送った親の、本当に素朴な言葉だと思う。この思いが、いろいろな文学を生み、信仰を生み、伝説を生んだのではないかと思える。
 人間の一番奥底の、誰もがもっている所に響いてくる言葉だと思う。

 そして、「子供の時のことを直美も懐かしがっていたのかなあ、幸せだと思っていてくれたのかなあと思います」という文。
 「幸せだったのかなあ」でもなく「幸せだと思っていたのかなあ」でもなく「幸せだと思っていてくれたのかなあ」
 思い切り偏見で断言しますが、こういう文は日本語にしかないんじゃないかと思う。「いてくれた」という発想が。ご両親の思いに感動するだけではなく、日本人で良かったな、こういう文のある言葉を使えて良かったな、と思いました。日本人というより日本語人であることがうれしくなる、そういう文だと思う。

 そして、つくづく、「親より先に逝かなくてよかった」と思いました。
 正直、何度かもうダメかと思った時もあったけど、親が今生きていて、祖父母をちゃんと見送れたこと、本当に良かったと思う。
 特に、共働きの両親の代わりにずっと育ててくれた祖母。いろいろ心配かけたし、祖母が望んだ結婚をすることも(今のところ)なかったし、祖母と分かれるのは本当につらかったけれど、でも、先に死なず、見送ってあげることだけでもできてよかったと、そう思います。

 最後にちょっとつまらないこと書いちゃいました。

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単なる愚痴

 風邪がぶり返した。そもそも、連休前にのどの痛みがあったのだけれど、連休に入って上野の博物館に行って悪化。今回も、イマイチ風邪が抜けきらないなーと思いつつ、金、土と習い事で東京に行ったら、完璧にぶり返した。
 やっぱり東京が空気が悪いべよ(;_;) 田舎もんの体には合わないべ。
 って感じです。

 レッズ、新潟に(スコア的には)快勝! ってことで少しは元気が出ましたが。

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トリビア!

 昨日久々に「トリビアの泉」見ました。なぜかというと、高校の先輩タグチさんのトリビアが採用されたと、タグチさんのブログにあったから。

 タイのマクドナルドネタ(「タイのマクドナルドのドナルド人形は合掌している」)、80へえでした。わたしもすご~く「へえ、へえ、へえ」だったし、アルカイックスマイルのドナルド(でいい? ロナウド?)人形は、なんかもし合掌してなくても、タイ風だと思う。
 私的補足トリビア: ケンタッキーフライドチキンのカーネル小父さん人形が日本発だというのは、知ってる人も多いのかな? それで、アジア各国のケンタッキーも、日本をまねして人形をおいてあるところが多いらしい。それで、中国語の先生に、「中国のケンタッキーにも人形がありますか?」と聞いたら「ある。それも二つ」との答え。中国では、狛犬とか、獅子とか仁王みたいにああいうのは1対、2つないと収まりが悪いのだそうだ。ただ、これは、自分自身では確かめてないので、あくまでもここだけの話ですが。

 トリビアを見るのは3回目位なので、80へえがどのくらいなのかはよくわからないんだけど、銀の脳くらいはもらえるんじゃないかと思いました。でも、ほかにも色々あって、残念。

 と言うか、昨日のトリビアレベルが高くありませんでしたか? 3回目じゃ、あんまり言えないんだけど、感動もののネタが多かった。
 18時間のピアノ曲、もう、笑い転げました。ずっとカタカナで紹介していたタイトルの意味が「嫌がらせ」というのにも爆笑。

 そして、一番感動したのが「「日本刀とピストルとどちらが強いか」というトリビアの種。
 すごいなあ、斬鉄剣は本当にあり得るんだ。スローモーションで、はっきりと二つに分かれる拳銃の弾にびっくり。出来たら、アメリカのガンショップの小父さんの反応も見たかった。
 (でも、現実にピストルの弾を二つに切っても、ダメージが2倍になるだけ? いしかわじゅんの「うえぽん」にそんなネタがあったような……)

 さて、今回、トラックバックというのを初めてやってみようと思うんですが、うまくいくかな?

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『日本の近代化と社会変動 ーテュービンゲン講義』

 富永健一『日本の近代化と社会変動 ーテュービンゲン講義』
 
 授業予習第4弾。教科書に出てこなければ決して読まなかったでしょう。でも、がんばって読んでみると、いろいろと頭のなかを整理できて有益でした。
 それにしても、ゲマインシャフトだのゲゼルシャフトだのは、知ってて当然の言葉なんですか?
 
 以下、個人的覚え書き。間違いも誤解も山ほどあると思います。

* 近代化をいくつかの面から分析する。つまり
 経済的近代化:産業化
 政治的近代化:民主化
 社会的-文化的近代化:自由・平等と合理主義

 自然発生的に近代化を成し遂げた西欧においては、まず、近代化は、社会的-文化的近代化、つまり迷信などの不合理な考え方をやめるところから始まった。その意識改革が、イギリスの清教徒革命、不乱革命などの政治的近代化につながり、最後に、経済的近代化:産業化が行われた。(だから「ブルジョア革命」というのは不正確で、これらの革命はブルジョア発生以前の独立自営の旧中間層によって担われた)すなわち「下からの近代化」である。
 しかし、日本など非西欧諸国では、「上からの近代化」であった。そこでは、産業化は「富国強兵」「殖産興業」などのスローガンのもとに、国家目標として上から進められる。しかし、「明治維新」のかけ声が「王政復古」であったことからもわかるように、政治的には、むしろプレモダン、古代を指向したものであった。このことは家父長制に基づく戸籍制度などからもわかる。また、「地租改正」の結果、江戸時代に大多数を占めた自作農は、寄生的大地主と零細小作農に2分化していく。(私たちのイメージにある、貧乏で悲惨なお百姓さん、というのは基本的に「近代化」の後に生まれたもの)
 また、社会的-文化的近代化は、一番伝播しにくいものであった。
 つまり、戦前の日本の近代化は、経済的分野にのみ突出していたといえる。

* 国を挙げて産業化を進める上で、政府は「政商」を必然的に必要としていた。官営企業が赤字になった時に、格安で払い下げてもらったとはいえ、それらを黒字に転換させる手腕は、日本の近代化には不可欠であった。また、「上からの」産業化で、先進国に追いつこうとしている時に、自由競争経済の実現は困難である。そういった要因も財閥を生んだ。

* 西欧に対する劣等感とアジアに対する優越感、知識人は前者に傾いたが、一般人と軍部は後者に傾いた。社会的-文化的価値は合理化へ向かわなければならないはずであったが、かえって伝統的価値へと向かい、それがナショナリズム(それも対外侵略と国粋主義)による社会的-文化的統合になっていった。

* そして、日本にとっての2度目の近代化は、敗戦後にやってきた。GHQの財閥解体や、農地解放によって。これもまた「上からの近代化」であった。
 財閥解体、農地解放が高度経済成長に先立つものであったおかげで、経済成長の恩恵は広く行き渡り、すべての階層の日本人を潤した。

* 日本、西欧の封建制にたいし、中国、韓国は家産制というらしい。(この本にも、封建制を生んだのは、日本と西欧だけだったと書いてある。これはもう定説なのか?梅棹先生、疑ってすみませんでした)

* 社会階層とは、物的資源(所得と冨)、関係的資源(権力および威信)、文化的資源(知識や教養)を総称する概念。
 身分:階層的地位が生得的に定められており、社会移動が制度的に不可能ないしきわめて困難
 階級:社会移動は制度的には可能であるが、地位間格差がきわめて大きく、かつ身分制的要素も残存していて、事実上は閉鎖性の度合いが高い。
 階層:社会移動比率が高く、かつ地位間格差が平準化していて、階層間の境界がほとんど定めがたい。
 
 この本は1990年の出版、使われている資料としては1985が最新のようだ。『日本型経営」などにもページが割かれているのだが、バブル経済を経て、「終身雇用」「年功序列」の崩れた現在の状況についても、この人の分析を読みたいと思った。

 ええ! 有益なゴールデンウイークですとも!(半ば自棄です)

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『ウイーン1899年の事件』『韓国併合への道』

 風邪をひいた。この3日間、うちから出ず。秩父に芝桜を見に行く約束もキャンセル。
 仕方がないので、積ん読をせっせと消化してました。
 それと、今日は、梅のカイガラムシ退治。草取り用の鎌で、虫をひたすらこそげ取る。ジェノサイドですわね。途中、めがねを落として縁を欠いて、こちらの被害も甚大。

さて、1冊目

 ラリー・ウルフ 『ウイーン 1899年の事件』 

 図書館の廃棄本をもらってきたもの。そうでなければ読むことはなかったでしょう。
 切り裂きジャックの様な、ミステリ的な事件のドキュメンタリーかと思ったのだけれど、全然違いました。
 この「事件」とは、世紀末ウイーンで起きた、何件かの親による児童虐待殺人事件のこと。
 途中かなり中断して内容を忘れてしまったのですが、印象に残った点をいくつか。

* 現代日本では親による虐待は「世も末だ」「昔と違って今の親は」というような見方をされるが、世紀末ウイーンにおいては「先祖返り」と見られていた。
* 虐待され遺棄された子供の遺体は、ユダヤ人による「儀式殺人」と一時考えられた。当たり前だが、反ユダヤはヒトラーが考え出したものでも、ヒトラーが初めにあおったものでもなく、むしろ、ヒトラーはそれに「かぶれた」のだということ。
* 「夢判断」を書いたばかりのフロイトは、著作でも書簡でも、これらの事件を全く無視している。
 そして、「エディプス・コンプレックス」「エレクトラ・コンプレックス」などで、「子供→親」への性的欲望、殺意を認めているのだが、「親→子供」への性的欲望、殺意は認めていない。
(一時期、「誘惑理論」というもので、「子供の世話をする立場の大人:子守、乳母、先生、身近な親戚など」を誘惑者として認めているが、後にその理論を捨て去っている)

 2冊目

 呉善花『韓国併合への道』

 これを読んで初めて「日韓併合は、韓国人民が望んだことだ」という意見の根拠がわかった。また、「大東亜共栄圏(本書ではこの言葉では出てこないが)」という構想がかならずしも植民地支配的欲望からでたものではなく、欧米列強(特にロシア)に対する切実な危機感から出されたものだということもわかった。
 (だけど、現実の「日韓併合」が、はたして韓国の推進派の望んだ形のものだったのか、「日韓合併」を望む2国の人々の理想につけいって成立したものではなかったのか、などを考えると、もちろん「日韓併合」を肯定は出来ない)

* 李朝を動かしていたのは、各自の血縁集団の繁栄へと向けられたエネルギーだった。その繁栄は、権力に近づけば近づくほど保証される繁栄だった。
 その血族集団は、それ故、貴族(両班)になろうとし、その身分を金で買ったりした。その結果、1858年には、両班の人口比は48.6%にまで達していた。
 そして、両班同士の派閥争いも凄まじいものがあった。ある派閥が政権を握ると、他の派閥は決して協力しない。むしろ、次の政権奪取をねらって、いろいろ手を打つことに終始した。
 (韓国の大統領が多く、権力の座から降りた後、罪人になったり、甚だしきは死刑判決まで出てしまうのは、こういった派閥争いが続いているからだろうか)

* 「封建的」というのと「封建制度」というのの区別が今ひとつわかっていなくて、『文明の生態史観』で、「中国には封建制度がなかった」とかいてあるのが疑問だった。でも、これを読んでわかった。李氏朝鮮において、地方長官の任期は短く360日で任地を変えられた。中国の制度もこれと同じならば、「封建領主(地方権力)」の育つ余地はなかっただろう。 

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