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April 2004

日本代表対チェコ代表

 ジーコ代表で、いつになくいい試合だった。コンフェデの時もいい感じだったのに、それからぐずぐずになっていったのはどうしてなんだろう。また、昨日、ハンガリー戦とはうってかわって良くなっていたのはどうして?
 ワールドカップに行くためには、それでもやっぱり別の監督がいいんじゃないかと思うんだけど、ジーコは、どうしてもまた山田さんを呼んでくれるんじゃないかという一抹の希望が捨てきれないんですよね。

 昨日の感想も、一言で言えば
 チェコと戦う山田さんが見たかった! ってことでした。

*三都主、坪井、ともにすごく良かったと思う。いろんな相手と対戦して、どんどん成長していって欲しいと思う。
*ひいき目かもしれないけど、西や加持の右サイドはかなり不安、だから山田さん……
*久保のインタビューは
 「うれしかったです」×2
 「良かったです」×2
*ちゃんとしたコンディションなら、やっぱり海外組>国内組なんだろうか。特に、昨日のボランチ二人は明らかに差があったと思う。がんばれ、国内組!
*コラーあれでも年下か……
*チェコ、FIFAランキング9位。そんなに強いんだ。ハンガリーは70番代だったよね。日本は強いのか弱いのか。
*プラハは神聖ローマ帝国の首都だった。へ~え。

 さて、今日はレッズ対エスパルス。前回はしっかり「連敗ストッパー」として仕事をしましたから、今度は、自分のチームの「(日本平)連敗ストッパー」になって欲しい。

 あ、補足。FWは国内組の方が良かった。一般論じゃなくて、ボランチに関しては、小野・稲本>遠藤・福西ってことか。

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ラ・マンチャの男

 今日のBS映画「ラ・マンチャの男」、とても良かった。以前から舞台をみたいと思いつつ、機会がありませんでした。「ドンキホーテ」を読んだこともなかったし、まあ、いろいろ情報は入ってきちゃってて知らない話ではなかったんだけど。
 
 この話は3重構造になっている。 

 まず、宗教裁判で監獄に入れられた作者、セルバンテスとその従者、監獄の中には、男女あわせた囚人たちがいる。セルバンテスは、自分の原稿を焼かれないために、物語を語り始める。

 その物語は、
 アロンソ・キハナという老人がいたが、その人は世の中のことを考えすぎ、勉強しすぎて頭がおかしくなってしまった。そこで、自分は、中世の騎士ドン・キホーテであると名乗り、サンチョ・パンサと名付けた従者を連れて、放浪の旅に出るのだ。その旅では、風車は巨人となり、宿屋は城、下女で娼婦のアルドンサはドルネリア姫となる。

 もともと2重構造の物語に、セルバンテスの物語という外枠が加わっているわけだ。


 「ラ・マンチャの男」に初めてふれたのは、小学生の頃だったか、和田慎二のかなり初期のマンガにこれをモチーフとしたものがあったのだ。タイトルは忘れてしまったけれど、未来を舞台にしたSFで、そこに中世の騎士の格好をした老人がいるという話。その時には、「ドンキホーテのつもりの老人」とだけ思ったのだけれど、原作「ドンキホーテ」自体がそういう話だとは知らなかった。その老人の様子や、「サンチョ・パンサ」に「行くぞ!」と呼びかける様子、「我こそはドンキホーテ!」と、元気いっぱい復活するところなど、今でもマンガの絵ごと思い出せるから、よほど印象の強いマンガだったのだろう。どこかでまた読みたい。

 それから、マンガと言えば、川原泉の「メイプル戦記」という女子プロ野球の話で、魔球開発に命をかける(?)子に、キャッチャーの子が「そんなラ・マンチャな夢はお捨てになって、もっと地道な努力……」っていうことを言うシーンも印象に残っている。「ラ・マンチャな夢」っていうフレーズは気に入って、結構自分の中で使ってます。

 と、関係ない話をしてしまいましたが、この映画は72年イタリアの映画らしいけど、話している言葉は英語だった。主人公の、セルバンテス=ドン・キホーテ=アロンソ・キハナはピーター・オトゥール(アラビアのロレンスの人)、アルドンサ=ドルネシア姫はソフィア・ローレン。ミュージカルだから、歌ってるんだけど、この二人が実際に歌っているのかな?終わりのクレジットに目をこらしたけどわからなかった。
 サンチョ・パンサ役の人は、なんとなく太ってた頃の渡辺徹に似ていた。

 でも、やっぱり舞台が見たいなあ。
 

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「江戸幕末滞在記」

 E.スエンソン「江戸幕末滞在記-若き海軍士官の見た日本」読了。
 デンマークの職業軍人だったスエンソンは、フランス海軍での修行中、24歳で日本に来た。時はまさに幕末、1986年から87年にかけて。明治維新が1968だから、まさに維新前夜の日本を見聞した人物だ。
 彼は、日本人を知的好奇心に満ちた目で見つめ、時にはその目を「同僚」であるフランス人にも向けている。

 たとえば、レジオンドヌール勲章を授与される男は、抱きつかれたりキスの嵐がふりかかるのを我慢しなければならない、と記した後で、「フランス人が(男同士でも)キスし合うのは舞台の上だけではない」と書いている。それを見て決まり悪く思ったとも。この辺は日本人の方に感覚が近いのかも。また、女装してカンカンを踊る軍人たちを見た時の描写は、口をぽかんと開けた日本人の方に共感しているようにも見える。

 以下日本について
*日本人の娘は13,4歳で成熟しているが、その新鮮な美しさは長くは保てず、25から30になると、美貌は廃れしわが出て黄土色になると。その原因は毎日はいる熱い湯だろう。

* 銭湯は混浴に近く、男女は縄一本で区切られているに過ぎない。それを日本の女の慎みのなさにして、なげかわしいなどと言いつつわざわざのぞきに来る西欧人の方がよろしくない。

* 神社の鳥居を「凱旋門」と記し、「えっ?」と思ったが、その後には、「凱旋門というより縛り首の台に似ている」と書いている。この辺は日本人でも納得。

* 数多くの運河と橋を持つ大阪を、彼はヴェニスに似ていると言っている。そして、異国性の多さ故であろうが、少々単調だがヴェニスよりも見るべきものが多いと書いている。

 彼は、慶喜やフランス公使ロッシュなどの「大物」にも 会っているのだが、それよりも歴史に残らない人物描写におもしろいものがあった。

* 通訳の一人「トリイ(鳥居)」について。「なんとも貧弱な小僧でたったの18歳、いたずらっぽい目をして底抜けに容器でおしゃべり、ぬきんでた猿まね上手で、おまけに人の滑稽な側面を見破る鋭い視線を持っていたので、しかつめらしい威厳のある人物を含めて、いろいろな人間の傑作な物まねを風刺的に演じて見せては何時間も我々を楽しませてくれた。」という。

 それから、「絶対にこの本を紹介しなきゃ!」と思った部分は、裃(肩衣と長袴)を付けた武士たちの様子。長袴は、遠山の金さんが「この桜吹雪が……!」って見得を切る時に、はいている足の長さよりも長い袴。彼の描写に寄れば、60センチも引きずって歩くのだそうだ。以下引用
「ところで、日本人はみな、われわれ同様自分たちもその衣装を滑稽だと思っていてようで、おたがいに冷やかし合い、ぴょんぴょんとカエル跳びの真似を何度もしていたが、そのまま続けていたら、いずれ転んで鼻血を出すこと受け合いであった。」

 遠山の金さんの格好でカエル跳びしてるとこなんて想像できますか? 時代劇には絶対出てこないでしょう。

 概して日本人は、武士や役人も含めて陽気だと書かれている。なんか日本人からしてもちょっと意外だった。

 デンマーク帰国後スエンソンは、大陸から日本まで海底ケーブルで電信線を設置する「大北電信会社」に就職、やがては同社の社長となる。1864年にオーストリア・プロシア戦に敗れたデンマークは、(大国である・となることをあきらめ)ヨーロッパの小国として独自の地位を築こうとしていた。スエンソンは東西の小国どうしとして日本との関係を常に気遣っていたように見える。だが、日本は「大国」を目指して歩み始めていた。

 いろいろな意味で、発見がありとてもおもしろかったです。

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「Say You Kids 」

 渋谷、シアターコクーンで上演中の「Say You Kids」、金曜日に見てきました。涼風真世ファンの友人に誘われて、ファンクラブで取ってもらったもの。
 主演は、V6 「トニセン」の3人。っと言っても、わたしはアイドル、ジャニーズ、そういうのに全く疎くて、V6までは聞いたことがあったけど、「トニセン」も、その3人の名前も顔も全く知らないまま見に行きました。(予習不足か)
 
 まあ、わたしも少しは大人になって(?)、アイドルというだけで偏見を持つことはなくなったのですが、それでも「ジャニーズ主演の舞台か~ 弾みで行くっていっちゃったけど……」って感じでした。(やっぱり偏見です、すみません)

 ところが! 非常におもしろかったし、良かったです。脚本もすごく練られていて伏線もいろいろ張ってありました。涼風さんはもちろん、3人の演技も文句なし。3人3様のひたむきさ(役の上でも)見せてもらいました。それと、坂本君が演じたお兄さんは、親の介護やらつとめてた銀行の倒産やらを背負ったサラリーマンで、かつては一世風靡セピアを持ち歌(ダンス)にしていたと言う。「一体ターゲットの世代は!?」と言いたくなったくらい、30代以上の胸にどすんと来ました。現に涼風ファンで来ていたらしいおばさまが涙していたし。わたしも思わずもらい泣き。
 井ノ原君が演じたゴクウが、一番若者、長野君が演じたマコトはさまよえる20代半ば、お兄さんがそれ以上、っていう感じに、広い世代に目配りした脚本なのかもしれません。

 それから、お客さんがみんな若い子ばっかりで浮きまくったらどうしようと思ってたんですが、涼風さんや他の人のファンもいるのでしょうが、みんな案外私と大差ないお年頃。っていうより、平均年齢30歳くらいか? まあ、考えてみれば、「トニセン」の3人が、30前後だから(これを書く前にあちこち見て調べた)、それくらいで順当か。

 最後のカーテンコールも、黄色い声が響き渡るわけでもなく、落ち着いた、だけど熱い拍手と一部の(わたしも(*^_^*) )スタンディングオーベイションがありました。

 偏見はいけませんね。もし、「ジャニーズ」ということで、見るのをやめている人がいたら、ぜひ見て欲しいと思います。
 と、言っても切符とれないんでしょうね。

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女子サッカーアテネ出場権獲得!

 女子サッカーすごかったですね。
 正直言って「うちの子たち」の出ていない女子代表は、興味があるとは言えなくて、ネットで見ているスポーツ新聞でも、記事を読まないことが多かった。
 されどしかし、1点取るたびに涙が浮かんできた。試合が終わった時にももちろん。「うちの子たち」ばかりの男子の時にさえ出てこなかったのに。ひたむきさは変わらないはずなのに。
 日本も、最後まであきらめなかった北朝鮮も、どちらもすごい。本当にいいものを見せてもらったと思う。
 それにしてもロスタイム5分!? 最近の流行ですか?

 その後の男子は、まるで草サッカーのような雰囲気の中、監督の声がよく聞こえて良かった。ギリシア選抜は、水曜のメンバーより悪かった気がするが、気のせいか? 
 隼磨は、ここ最近になくよかった気がする。根性が入ってた。あの得点につながったあきらめなさは良かった。
 達也については、言うことなし。けがしないかだけが心配だった。しかし、それでも「大久保」「平山」のテレビ。いいんですけどね、変に持ち上げられるより。
 山瀬は前半は良かったけど、後半はイマイチだった。松井とかぶってしまっていると解説が言っていたけれど、そのせいか?
 啓太は、時間が短すぎて何とも言えないけど、あそこで投入と言うことは、やはり欠かせないメンバーだと言うことでしょうね。今野と啓太は、このチームの生命線だと思う。

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「文明の衝突」

 授業予習シリーズ第3弾、サミュエル・ハンチントン「文明の衝突」。「風土」「文明の生態史観」と比べると、ぐっと新しく1996年の本。

 以下、覚え書き。
* ハンチントンの分類した現代文明
 中華文明 
 日本文明
 ヒンドゥー文明
 イスラム文明
 西欧文明
 ロシア正教文明
 ラテンアメリカ文明
 (やはり、ロシア正教文明は、西欧文明とは区別されるんですね。岩田昌征「ユーゴスラビア」にも、旧ユーゴスラビア連邦内でも、カトリックのクロアチア、スロベニアと,正教のセルビアという宗教的背景の違いが書いてあったけれど、やはり、違う文明といえるのか。旧東欧でも、ポーランドなどが、正教国と一緒にして欲しくない、っていう感じでアメリカ寄りになっていることなど、この「文明の違い」を頭に入れるとおもしろいかも)
 
* 国民一人あたりの生産高を2倍にするのにかかった時間。
 イギリス:58年、アメリカ:47年、日本:33年、インドネシア:17年、韓国:11年、中国10年。

* 各国には文明に対して、構成国、中核国、孤立国、分裂国、引き裂かれた国家として関係している。
 たとえば、中華文明の中核国は当然、中国。そして、他文化を含むとはいえ、中国本土、一定の条件で中国の一部となる可能性のある国(台湾・香港)、圧倒的に中国人が多いシンガポール、中国人が大きな勢力を持つ、タイ、マレーシア、インドネシア、フィリピン、そして、非中国系社会だが、儒教文化の多くを共有する南北朝鮮、ヴェトナム。
 イスラム文明は中核国を持たず、それが問題の要因の一つになっている。
 「もっとも重要な孤立国は日本である」
 日本の海外移民は数が少なく、また、現地にとけ込んでしまう。日本文化は高度に排他的で、広く支持される可能性のある宗教(キリスト教、イスラム教やイデオロギー(自由主義、共産主義)を伴わない。そのため、他の社会にそれを伝えて、その社会の人々と文化的な関係を築くことが出来ない。

*ヨーロッパはどこで終わるのか。西欧キリスト教が終わり、イスラム教と東方正教会が始まるところだ。そのためには、東欧と中欧区別する必要がある。中欧:ハプスブルグ帝国とオーストリア、ハンガリー、チェコスロバキア、ポーランドなど。あと、バルト三国。

*西欧の普遍的な文化を広めようとすることによって起こる不調和と、それを広める能力の衰退がある。
 共産主義の崩壊により、この不調和は一層激しくなった。自由主義が勝利を収めたのだから、それにこそ普遍的な価値があるという考えが西欧で強まった。西欧、特にアメリカは、常に伝道を旨とする国であり、西欧以外の人々は、西欧の価値観を尊ぶべきだと信じている。他の文明圏の人々は、一部はこの価値観を受け入れるが、非西欧圏の人々の大部分は懐疑的であり、激しく抵抗するものも多い。西欧人には普遍的と映るものが、他の文明圏に人々には帝国主義と思えるのだ。 (これこそ、いまイラクで起きていることでは?)

*韓国は北朝鮮の核兵器についてそれほど問題視していない。核開発に関わる非難は、北朝鮮に任せ、いずれ統一朝鮮が誕生した暁には、韓国がその爆弾を引き継ぐことが出来る。(本当か?ちょっとこわい)

* 中国はやがて、前述の「中華文化圏」を形成し台頭してくるだろう。その時に日本はどうするか。日米同盟などを利用して、勢力バランスを保とうとするだろうが、アメリカの力が衰えた場合、「最強国との提携」という日本が常に持ってきた同盟感覚からして、中国が勢力を持った世界に順応してゆくだろう。

* アジアが洗濯できるのは、紛争を対価とした勢力の均衡か、覇権を対価とした平和のどちらかだ。アジアは平和と覇権を選ぶ可能性が強い。地域の覇権国としての地位を中国は獲得するだろう。

* 異文明同士の接点で起きる戦争を「フォルト・ライン(断層線)戦争」と言う。その最初は、1979年に始まるソ連とアフガニスタンとの戦争である。2番目が湾岸戦争。

* ユーゴ、インド(タミール族、シンハラ族)などで、それまで平和的に暮らしてきた各民族間に紛争が起きる。それは、人口構成の変化も要因の一つだ。一つの集団の人数が増えると、それが他の集団にとって、政治的、経済的、社会的圧力となり、相手側が均衡を保とうとして、反応することが多い。とくに、戦士となる若年層の増大(20%以上になる)は、大きく影響をあたえる。

* ボスニアにおいては、歴史的に、イスラム教とはモスクに行かないボスニア人、クロアチア人は大聖堂に行かないボスニア人、セルビア人は正教教会にいかないボスニア人と言われ、互いに結婚もしていた。しかし、ユーゴスラビア連邦という広いアイデンティティが崩壊すると、これらの宗教アイデンティティが意味を持つようになり、一旦戦闘が起こるとそれが強くなった。

*フォルト・ライン紛争においては、当事者A・B(セルビア人とクロアチア人など)とそれを支援する第2レベルの参加者(国家としてのセルビアやクロアチア)、そして、文明的な連帯感をもつ第3レベルの国々(ロシア、ドイツなど)がある。
 そして、こういった紛争を終わらせるには、当事者だけでは難しい。第3レベルの、各文明の中核国に頼らざるを得ない。フォルト・ライン紛争においては、戦争は下から、平和は上からやってくるはずである。


 ふう~ 長かった。書き漏らした所も多いけど、「今このとき」、色々考えさせられるところが多かった。
 「風土」「文明の生態史間」「文明の衝突」10年前に、今の自分の年齢で読んでいたとしても、これほどいろいろ考えることはなかったと思う。自分に出来ることは、多くなくとも、せめて「知ろう」という気持ちだけでも持ち続けていきたいと思う。

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「リトルストライカー」

 昨日のBS映画「リトルストライカー」、おもしろかった。
 サッカーの才能があるんだけど、人前ではそれを発揮できないいじめられっ子ジミーが、あるおばあさんに「魔法のサッカーシューズ」をもらったことで変わっていく。そして、その変化は、シングルマザーのお母さん、選手たちに馬鹿にされているコーチ、お母さんの元恋人などにまで起こっていく。

 そのサッカーシューズが本当に「魔法」なのかどうかは、読んでのお楽しみ……って言うよりは、予想通りの結果なのだけれど、全体的に予定調和な物語なんだけど、それでいいじゃない!って思える映画。

 「リトルダンサー」、「フルモンティ」、「リトルヴォイス」、それから「ブラス!」。最近の(って言うには期間が長いか)イギリス映画は、「不景気な地方都市と、そこをほんの少し明るくしてくれる小さな能力」っていうのが多いと思う。(フルモンティ、ストリップも一種の能力?) 
 旅行で訪れた、町の風景が浮かんで、不思議に郷愁をかき立てられる。
 「マンボ!マンボ!」っていうのもあった。(もしかしたらタイトル間違ってるかも)あれはサッカーとダンスがからんでいる上に、北アイルランド独特の雰囲気もおもしろかった。

 さえないコーチ(実は……)のロバート・カーライルは「フルモンティ」主演の人。あの風貌は、本当にイングランド北部の労働者的哀愁があると思う。思いっきり偏見だけど。
 母に言わせると「杉本哲多似」のジミー少年もいい感じ。困った時に、にゅっとしわの寄る顔に独特の味がある。
 美少女でも、美人でもないけど、すごくかわいいガールフレンド未満のサラ。
 美男美女ぞろいのハリウッド映画より、ずっと「役者を見る楽しみ」がある。美男美女も好きだけど。

 主人公がいじめられてる理由って言うのが、多分、マンチェスター・ユナイテッドファンばかりの周囲の中で、一人、マイナーなマンチェスター・シティを応援しているからのようだ。この辺、さいたま(それも旧浦和)で、アルディージャファンをやってるようなものか、と一人で納得。まあ、レッズファンとアルディージャファンは重なってることも多いけど。
 作中の「ゴードンにパス!」一本槍の作戦も「エメだ!エメ!」と読み替えて、笑ってました。

 なんか最近心がすさんでたから、ほっとできる映画で良かった。

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どうしても言いたい

 もうやめようと思ったのですが、やはりどうしても言いたいです、人質事件について。

 金曜日の読売新聞に「これ以上、問題解決が長引いていたら、自衛隊撤退論が勢いを得ていただろう。そうなっていたら、それは3人の罪だ」というようなことが書いてあった。「3人の罪だ」とは、書いてあった言葉そのまま。
 「罪」ですか?!
 自衛隊撤退、撤退反対、それぞれに理のある二つの意見があって、その内の一つをある新聞が支持する。そこまではいいと思う。完全中立なんてあり得ないんだから、旗幟鮮明にした上で意見を表明するのはいいだろう。だから、「これ以上撤退論が盛り上がる前に解決できて良かった」というのまでは許せる。
 だけど、百歩譲って「自衛隊撤退」という意見に「非がある」「間違っている」としても、そして、3人がその意見の方に賛成で、家族もそれを訴えたのだとしても、撤退論が盛り上がると言う状況は、国民一人一人が、政府の意見も聞いて、家族の意見も聞いて、自分で判断したものでしょう。そういう世論が出来た原因を作ったとして、3人の罪を問うのですか?
 もし本気でそんな論法が成り立つと思っているのならば、言論人なんかやめた方がいいです。ネットかどこかで自分の意見を存分に書いてください。

 それから、小泉首相はじめとして、皆さん「金を取る」とまで言って、被害者を非難している。確かに、自分で帰ってきても必要だった飛行機料金などを請求することは考えてもいいだろう。だけど、あの状況で、あそこまで言い切るのは、完全に、偏った世論の尻馬に乗っている。どんな世論であれ、国を動かそうという人間が、尻馬に乗った発言をしていいものか。(故に「だから言ったじゃないの、自衛隊派遣なんかするから、誘拐事件が起こるんだ」という言い方にも賛同しない。因果関係の追求は冷静にされるべきだ)
 また、自衛隊派遣を決める時点では、あれほど、情勢は落ち着いていると 強調していた政府が、今度は「危険地帯」だと強調している。その変の矛盾はどうなるのだろう。
 ついでに言えば、世論なんて言うものは無責任で、変わりやすいものだ。また、声が大きい方がよく聞こえる。自衛隊撤退を求める15万人の署名もまた世論であることを、彼らは忘れていないか。

 また、今の小泉政権は、「国際社会=アメリカ=ブッシュ政権」であるが、ブッシュ政権がずっと続くわけではない。すでに、大統領選挙戦は(広い意味では)始まっている。もし、ケリーがアメリカ大統領になったときに、今の「ブッシュべったり」の姿勢は、次期政権からはどう映るのか。また、「イラク戦争は間違っていた、即時撤退しよう」となったときに、日本ははしごをはずされてしまうのではないか。

 友人とこの事件について話したときに、彼女は「日本国民としてこれまで恩恵を受けてきた以上、国民よりも国を優先することをわたしは認める。当然、国>国民だ」と言っていた。
 その時には、自分の考えをまとめることが出来なかったのだけれど、今思うこと。
 最終的に、国が「国>国民」という判断を下すことはあるし、また、仕方のないことだと思う。当然、とまで言い切ってしまってもいいのかもしれない。
 だけど、「国なんて関係ない! わたしは、わたしの○○(子、夫、妻、親etc)が大事なんだ。国より、地球より大事なんだ」と叫ぶことを否定、非難するような社会には決してなって欲しくない。
 今日初めて、3人の家族が(以前)感情的に訴えていた場面をテレビで見た。確かに、反発する人もいるかと思う。「それが人にものを頼む態度か!」という人もいただろう。だけど、「態度なんてかまってられる状況か」というのが、人間として正直なところだろう。あんな状況の家族が、泣くのも怒るのも、政府を非難するのも、ごく自然な感情の発露だ。政府は、感情的にならず冷静に判断を下せばいい。
 「国より、わたしやわたしの大切な人が、大切だ」と言うこと自体出来なかった時代があったではないか。お国のためと言われれば、「いやだ」とも言えず、それどころか「帰ってきて」とすら言えなかった時代が。笑顔で送り出すことしか許されなかった時代が。
 まるで謝罪会見のような、解放後の家族の会見。
 自分の心をさらけ出すことが出来なくなるような空気が出来てきているのだとすると恐ろしい。

 最後に、「続けたい」と言った高遠さん。
 正直言って「ああ、言っちゃった。家族は頭を抱えてるだろうな」と思った。だけど、彼女の脳裏には、ふれあってきたイラクの子供たち一人一人の顔が浮かんでいたのだろう。また、後から解放された2人の脳裏には、伝えられないままになっているイラクの現状、自分が拾えるかもしれない一人一人の言葉、が浮かんでいたのだろう。
 それを思うと、その思いを否定することは出来ない。
 (第一、「もうやめます」と言ったところで、「それほどの覚悟もなかったくせに」「すぐ逃げ出すか」なんて非難されるのは目に見えてる)

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「文明の生態史観」

 付け焼き刃の授業準備シリーズ第2弾、梅棹忠夫著「文明の生態史観」
 本当は「風土」と前後して読了していたのだけれど、まとめる間がありませんでした。
 書かれたのは和辻哲郎の「風土」とほぼ同じ1950年代半ば。ただ、「風土」が1020年代の旅行体験を元に書かれているのからすると、梅棹の旅行は1955年で、30年の開きがある。
 全体としては、あちこちに発表した文章をまとめたもので、繰り返しが多かったり、ただの印象にとどまっている文が多いと思った。「風土」より一層「紀行文的」というか。
 
 さて、梅棹は文明を、歴史の展開に基づいて二つに分けている。
 第一地域: 日本・西欧
  最初は辺境の蛮国としてスタートするが、第二地域から文明を取り入れ、やがて封建体制→ブルジョア革命→他国を植民地支配などしたのち、現在は高度資本主義社会。
 第二地域: 中国、インド、パキスタン、ユーゴスラビア等々
 古代文明の地として他国に影響を及ぼすが、実質的に封建社会を持たず、ブルジョアを生み出すこともなかった。独裁制・専制を経て、第一地域の植民地となり、現在は、それぞれの段階で近代化の最中。

 古代文明を生み出した第二地域になぜ、順序をふんだ発達がなかったかを、彼はやはり乾燥地帯であることと絡めて書いている。乾燥地帯から現れてくる人間は、激しい破壊力を示すと言う。匈奴・モンゴル・ツングース、イスラム社会…… それ故、第二地域では、建設と破壊の繰り返しになってしまった。そして、やがては、第一地域の破壊に会ったのだ。
 それに対し、第一地域は温室であった。

 以下、ピックアップ。(あくまで個人的な覚え書きです。適当に抜粋してます)
*第二地域はもともと巨大な帝国とその衛星国という構成を持った地域である。帝国はつぶれても、それを支えた共同体は全部健在である。内部が充実してきた場合、それらの共同体が自己拡張運動を起こさないとは誰が言えるであろうか。
* 第二地域は、将来4つの巨大なブロックの並立状態に入る可能性がかなり多いだろう。中国ブロック、ソ連ブロック、インドブロック、イスラムブロックである。
*(第一地域の)封建家族は「家」の重圧を長く保持した代わり、それ以外の血縁集団をほとんど解消してしまった。それに対し、第二地域では、超家族的集団がある。たとえば、族外婚的姓氏制、カースト制、部族制。それは法律で解消するにはあまりに大きい慣習である。
* 神様には嫉妬深い神様と、そうでもない神様がいる。第一地域では、聖と俗の権力の分離が早く起こった。一方第二地域では、ロシアのツァーがロシア正教の首長であり、トルコのスルタンがイスラムの教主であったように、精神界の支配者と俗界の支配者が、ずっと後世までもくっついている。 
 それぞれの土地神の気質の違いは後までも維持されている。たとえば、第二地域での、新しい精神世界の原理、たとえばコミュニズムなどによる共同体統一の早さと強さ。そして、世俗の世界と、精神世界をともに一手に統べようとする強い傾向持った新しい司祭者の存在。
*今(1950年代)起こりつつある様々な事件は、地中海・イスラーム世界を覆う、新しい巨大「帝国」の再建へつながっていくだろう。そして、その中核になるのは、人口の多いアラブである。アラブ連合、連邦……というアイディアは繰り返し現れ、結局は、大アラブ国家が成立して、さらにそれを中核として、地中海・イスラム世界の再建へと向かうだろう。石油だのユダヤ国家だのは、その接合反応における触媒の働きをするだろう。

 それから「カルカッタからアジアが始まる」というのは、ぜひ現地検証をしたいです。インド国内でも、人の顔などそんなに違うものでしょうか?

 さて、この分け方を中国人を中心とした留学生に示したところ、やはり、反発した人がいました。「自分の自尊心のために、偏見に基づいた分け方をした」と。梅棹先生の名誉のために言っておくと、「第一地域」と「第二地域」は別に第一が偉いというわけではもちろんなく、第一地域は辺境の蛮国であったとはっきり書いています。
 だけど、ならばなぜ、第一地域と第二地域の順番を反対にしなかったのだろうと思います。歴史的にはその方が合っているし、第一、わかりやすい。読んでいても、今こうして書いていても、混乱してしまいました。

 しかし、和辻も梅棹も「砂漠的人間は攻撃的だ」と書いている。それは、私たちが今現在感じていることとも一致するが、中世では、イスラムはキリスト教にくらべ遙かに寛容で、異民族、異宗教とも共存した社会を築いていたのではなかったか。この辺は、聞きかじっただけだけれど、どうしても不思議に思える。いつから、どのように変わったのだろうか。

 
 

 
 

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イラク人質解放

 イラク人質解放、本当に良かったと思います。
 だけれど、今朝驚いたのが、週刊新潮。新聞の下の目次を見ただけだから、うかつなことは言えないのだけれど、3人や家族に対する誹謗中傷の記事ばかりに思えた。
 単純に、純粋に不思議なのだけれど、どうしてこの事件に限ってこんなに急に、早く、誹謗中傷記事や世論が現れたのだろう。毀誉褒貶は世の習いだから、これまでも「同情・お涙ちょうだい記事→異論→実はこうだった的誹謗」という流れをたどった事件はよく見た。だけれど、この事件では、発生から1週間も経っていない段階で、しかも大マスコミがこのような記事を書いた。一体なぜなのか、わたしは首をかしげるしかない。

 「自己責任」かと問われれば、「もちろん自己責任だ」と答える。
 だけど、それは、3人自身が拉致されたことを誰のせいにもできないという意味での責任であって、三人を見捨てていいとか、3人を家族まで含めて誹謗中傷していいということでは全くないはずだ。
 この「自己責任論」については、江川紹子さんが、さすがの分析力・文章力で書いているので、そちらを是非読んで欲しいと思う。
 
 それから、この後に書くのはなんなんですが、知人の石彫り作家浜田彰三さんが、今、新宿小田急デパートで個展を開催中です。石ってこんなに暖かみのあるものなんだと、びっくりするような、そんな石の人たちです。(わたしは土曜日に行くつもりなので、今回の展覧会はまだ拝見してないんですが)
 詳しくは、こちらの浜田さんのページをご覧ください。
 
 それからもう一つ、友人の九十九耕一さんが、写真家のその江さんとコラボレーションして、CDケースに入った写真集「DAWN」を出しました。印刷ではなく、印画紙の写真集です。わたしは、この写真集を手に取るまで、印刷と印画紙でこんなに違うものだとは思っても見ませんでした。「プロの写真を、印画紙の形で自分の手に取れる」。それだけのことが、これほどすごいとは。これは、実際に体験してなければわかりませんよ。
 もちろん、九十九さんの文章もすてきです。
 くわしくはこちらから。

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20年目の「再会」

 レッズのホームグラウンド、駒場はわたしの母校の近く。スタジアムまで歩く間に、気分はどんどんノスタルジックになっていく。そして、帰りもまた……
 高校の前には「マム」というパン屋があって、在校時からあった油絵や、甲子園でベスト4になった選手たちのサインなどが飾ってある。ぴかぴかのコンピューター棟のある学校そのものよりも、ある意味ではより思い出が残っている小さなパン屋。店の名前は「マム」だけなんだけれど、なぜかみんな「マム屋」と呼んでいた。
  「レッズ対神戸」の記事を書いたとき、「マム」と書くか「マム屋」と書くか、ちょっと迷った。正式名称(?)は「マム」だろうけど…… 懐かしさを優先して「マム屋」と書いた。
 そうしたら、お返事(コメント)が来たのだ。知人以外では初めてのコメント。「マム屋」の名前に反応してくださったのだ。そして、マム屋に飾ってある油絵の作者だと書いてあり、続くコメントの往来の中で、「わたしが高校1年の時に、教生で来た先輩」であることが判明。田口さんとおっしゃるのだが、当時在校生(2年生)にも田口さんがいらっしゃったので、私たち1年生は「大きい田口先輩」と呼んでいた。東京で行われたグループ展に行ったことも、思い出しました。(地下ギャラリーだったのか、なぜか階段の印象が強い)
 20年前に、ほんのひとときお会いした人と、ネット上で「再会」。こんなことってあるんですね。
 きっと、パン屋の名前をただ「マム」とだけ書いていたら、きっとコメントまではいただけなかったと思います。
 ちょっとのことで、人が出会ったりすれ違ったりするのだと感じました。
 「マム屋」に感謝です。

 「大きい田口先輩」は、造形作家になっておられます。本館をのぞいたんですが、すばらしい作品ばかり。
 どうぞこちらからいらしてみてください。

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イラク邦人拘束について

 邦人拘束のニュースが入った木曜、わたしは旅行中、高野山の宿坊にいたため情報が入ってこなかった。その後も、いろいろな思いが渦巻くものの、はっきりとした考えをまとめきれないでいる。
 知人から「自衛隊撤退の意見を政府関係者に送って欲しい」とのメールが回ってきて、それに応え、またそのメールを友人に転送する。
 ただ、わたしは「自衛隊撤退」自体に全面賛成ではない。個人的には「自衛隊は憲法違反」という意見を持つものではあるが、現に自衛隊が存在し、また、少しずつではあれイラクのためになることをしていることから考えると、撤退すればそれで良しとも思えなかった。
 ただ、小泉首相の「撤退なし」の宣言には、後先考えぬ自己満足的なものが感じられ、なぜもっと含みを持たせた表現が出来ないのだろうかと思った。相手が冷酷な組織であれば、体の一部を切り落として送りつける、一人ずつ殺していくなどという方法を簡単に取るかもしれない、その可能性を考えなかったのか。政治とは、よくも悪くも駆け引き、交渉力だろうに。
 また、「人の命は地球より重い」という宣言は、確かに現実的ではなく、ナンセンスと思う人がいるかもしれないが、そんな「建前」にしがみつく国があったっていいじゃないかと思った。ダッカ事件が引き合いに出されるが、じゃあその後、「組み易し」と思われた日本は、他国に比べテロやハイジャック、誘拐事件の標的になっただろうか。愚直というのは、確かに馬鹿にされやすいかもしれないが、それも一つの立派な態度ではないか。(決して愚か者=善、弱者=善という意味ではない)
 まして今、この時代「人の命は地球より重い」国があってもいいのではないか。
 そんな気持ちも込めて、防衛庁長官にメールしました。
 
 今晩のクローズアップ現代を見て思ったこと。
 この期に及んでモスクを爆撃なんかするアメリカの感覚は全く信じられない。
 

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レッズ対神戸

 土曜朝、母の友人から「今日のレッズ戦のチケットが3枚あるんだけど、一家で行かない?」と言われ、急きょ観戦。
 北浦和から駒場まで歩く。ちょうど中間地点あたりにわたしが卒業した高校があるので、その前を通っていく。「マム屋(パン屋)」は相変わらずあるなあ、とか、このあたりも地上げがあったのか、駐車場になっているところがあるなあ、とか思いながら歩く。(一昨年も駒場に徒歩で行ってるんだけど、改めて思った)
 ナマ観戦はこれまで3回(だから「レッズサポ」とは名乗ってません。おこがましくて)、いまだ勝ちなし……(2敗1引き分け)今回は初めてメイン側に座る。2階最上段。この席は、全体が見渡せていいと思った。応援は手拍子くらいで、みんな声は出さないのね。その代わり、ゴール裏、バックスタンドの応援がとても気持ちよく聞こえる。
 気温はとても温かかったんだけど、風がずーっと吹き付けてきていて、どんどん体温を奪っていく。わたしがタオルマフラーをしてきたくらいで、みんな私服観戦だったんだけど、あまりの寒さに、わたしがスエット地のパーカー、父がウインドブレーカーを買って、あっという間に「コアサポ一家」のできあがり。こうなったら、もっと観戦せねば。

さて、雑感
* なにはともあれ勝ってよかった。内容的にはいいとは言えないとはいえ、失点1は評価出来るのでは。まあ、運に助けられた所も大きかったけど。それにしても、相変わらずセットプレーに弱い。
* カズは怖かった。交代したときにはほっとしたし、メインのお客さんからは拍手も起きていた。なぜ、ヴィッセルサポの間で、評価が低いのかわからない。
* 永井はいい感じのドリブルもあってよかったけど、どうしてあんなに下にいるんだろう。ほとんどディフェンスと並んでいるときもあった。思わず双眼鏡で、電光掲示板のメンバー表を確かめてしまった。山瀬がフォワード登録だったし、もしかして永井ディフェンスか、ミッドフィールダーなんじゃないかと思って。(皮肉にあらず。本気で)
* 達也やお疲れ。動き自体はよかったのに、最後の精度や思い切りに欠けていたように思える。とにかく、ギリシア遠征なんかもあるから、まずはゆっくり休んで欲しい。エメも帰ってくるし。
* 岡野がドリブルすると会場が沸く。達也だって、押しも押されもしないレッズのエースで、人気もあるのに、沸き方が一段違う。やっぱり帰ってきてもらってよかったと思う。アップ中も、さっさと、ズボンを脱いで、ウインドブレーカーを脱いでアピールしてた。
* 長谷部はすごい。本人は行きたいんだろうけど、オリンピック代表に招集されてしまったら、レッズはどうしたらいいんだろう。
* 山田さんはなんかうろうろしてる感じだった。(いいときも悪いときも)
* 「審判浦和寄り」という意見もあるようだけど、そうでもないと思った。微妙なオフサイドを取ってたりしたし。最初のPKを取ったから、そう言われるのかな?
* ハーフタイムショーのラッセル・ワトソン氏の歌。水分を控えてトイレに行かずに済むようにして待ってました。さすがにすてきだった。サポの反応は最初は微妙で盛り上がりに欠けるかと思ったけど、上着を脱いで下に着ていたレッズユニを見せたあたりから、みんなノリノリになってきた。ウオーって歓声があがっていたし、わたしも素直にうれしかった。最後は東側を中心に、歌でお返し(?)してた。ご本人も駒場の様子が気に入ったよう。「のどが強い」なんて、本職にほめられるとは、光栄でしょう。以下、J's GOALの氏のコメントから。

歌い終わって、本当にファンタスティックだった。感動した。歌っているときに、サポーターの皆さんが反応して、エールを送ってくれたのが印象的。とても嬉しかった。スタジアムの雰囲気はびっくり。Amazing!

駒場のサポーターは試合中ずっと歌い続け、旗を振り、マフラーを振り、応援を続けて、イングランドのサポーターよりも雰囲気が良い。みんな強いノドを持っていますね。声の出し方が素晴らしい。

浦和レッズが夏にマンチェスター遠征するかもしれないとの事。現地でまた皆さんに会いたいですね。


 テレビ埼玉の録画見なくっちゃ!

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「風土」

 和辻哲郎「風土」読了。
 おもしろかった。いつかは読もうと思いつつはや10年以上……教科書に出てきたのは、いいきっかけになりました。教科書本文に引用してある抜粋を読んだときには、結構反論も浮かんだんだけど、全文を読んでみるとわたしに浮かぶ反論くらいは、やはり論証されていました。科学的裏付けがないため、「紀行文」として読む方がいいのかもしれませんが、素人には十分刺激的で、説得力がありました。
 
 
以下おもしろかった部分+雑感 (和辻は、風土を「モンスーン型」「砂漠型」「牧場型」の3つに分類している)

*モンスーン地域(暑熱+湿潤)における自然は、横溢する生の脅威であるのに対し、砂漠(乾燥)の自然は、死の脅威である。死の脅威に対しては、人間の生の力で対抗することが出来るが、より強力な自然の生の力に対しては、人間の生の力で対抗することは出来ない。故に、モンスーン型の人間は受容的・忍従的である。
*自然が恵みをあたえてくれるモンスーン地域では、神への関係は甘える関係である。砂漠のような絶対服従はない。
*人間は個人として砂漠で生きることは出来ない。だから、砂漠型人間は部族を重視する。
*砂漠型人間は、人格神を生み出した。砂漠の生んだ人格神は、自然と対抗する人間の全体性が自覚されたもので、自然の力を神格化したものではない。
 対して、ギリシアの神々は、外部の自然の力(大空:ゼウス 、海:ポセイドン)や内部の自然の力(美、愛:アフロディテ)の神格化である。
*牧場型のヨーロッパでは、湿気の少なさ、風の少なさにより、自然は従順である。たとえば、湿気の少なさは雑草がないことと、鉄を使った農機具を一日の終わりに放置して帰ってもさびないことを意味する。つまり、農業労働が日本などに比べ著しく楽である。
また、風が少ないことはまっすぐ、植物学の教科書道理の形に育つ木に現れている。つまり、ヨーロッパにおいては、自然=合理的である。一方、風の強い日本では樹木はねじれ、まっすぐな木は不自然、人工的である。つまり、日本においては、自然は非合理的である。
 ヨーロッパの自然には容易に規則を見いだせる。そして、その規則に従って自然に臨むと、自然は一層従順になる。ヨーロッパの自然科学は、こういった牧場型風土の産物である。

 ちょっと、疑問つきでおもしろかったのが、
*地中海はやせ海である。だから、あれだけ海に親しんだギリシア人は獣食をしていて、海は交通手段に過ぎなかった。海の幸の有名なマルセイユなどは、すべて、大きな川の河口にあり、地中海では例外である。
 これについては、ぜひ現地検証をしてみたい(^_^) いつか、ね。

 和辻の論で、イマイチと思ったのが中国(文中シナ)のこと。
 中国の建築、美術などは、遠目にはいいけれど、精緻さに欠ける。(ものすごい刺繍とか、気の狂いそうな彫刻とかはどう?)
 それから、黄河文明が発生した地域を砂漠と結びつけて書いているのは、実際にはたしかにそうだとしても、なんか都合がいいと思えた。
 また、中国人は無感動であると書いてある。しかしこれは、昭和10年代、「支配者」の日本人に対して、中国人が取るしかなかった態度ではないかと思える。

 しかし、「シナ」の章の最後には、「世界の文化の新しい進展にとっては、シナの文化復興は必要である。徹底的に外国の植民地に化する方針を固執するごとき財閥・軍閥たちはシナ民族自身の敵に過ぎない」と書いてある。この項、昭和18年に書かれたもの。

 それから、もう一つおもしろかったのが、和辻による前書き。昭和4年頃左傾思想が流行していたと書いてある。
 こういうちょっとしたところに、後からではわからない「その時代の空気」が見える。
 
 さて、明日の予習になりましたか。

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いよいよ新学期

 水曜から新学期、例によって人様より長い休暇を何して過ごしたかは記憶にない……
 やっと見られた映画「ショーシャンクの空に」はすごくよかったとか、レッズ対ジュビロは、11対11でも勝てたかどうかはわからないが、せっかくの好ゲームを審判に台無しにされたらしいとか、いろいろありましたが、日記を書く間もなく過ぎていきました。
 来期からのクラスは、折り紙付きのいいクラスらしくて、だいぶプレッシャーを受けております。わたしが得意なのは、「幼稚園クラス」と呼ばれるような、学問を仕込むよりもしつけが大事、というクラスです。(注:留学生、成人です)たとえば前回のクラスは、鎌倉のお寺で水鉄砲で撃ち合いするは、学校の屋上でロケット花火打ち上げるはのクラスでした。
 それが、文句なしにいいクラスで、「伸びるわよ~」と言われれば、伸びなければわたしの責任。教務は、わたしがいつも大変なクラスを持っているからと気を遣って回してくれたようですが、かなりドキドキものです。
 教科書もレベルが高いし、言葉だけじゃなくて内容のフォローも必要。今まで、気力体力は使ってきたけど、知力はだいぶお休みしてました。
 まずは、和辻哲郎「風土」を読んで臨みたいと思います。(第1課に出てくる)
 新学期の意気込み(というより愚痴)でした。

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島田雅彦「無限カノン三部作」

 島田雅彦無限カノン三部作読了。「彗星の住人」「美しい魂」「エトロフの恋」。

 蝶々夫人の悲恋から始まる、四代の人々の恋、そしてその最後を飾るカヲルの禁断の恋。すごく複雑な話なので、詳しくはリンクからアマゾンに飛んでください。

 以下、全面的にネタバレ

 カヲル以前の人々の恋については、みんなおもしろく共感出来たんだけど、肝心のカヲルの恋が今ひとつだった。なんと言ってもヒロイン不二子が「虚」。これは「うつろ」じゃなくて「きょ」と読みたい。なんだか、すごく気高くて美しくて、彼女なりに苦しんでいるようなんだけれど、彼女の偉大さは中心に虚があるような、虚ゆえの偉大さと言う感じがした。東京の真ん中に皇居の森があるように、ヒロインの真ん中にはお堀に囲われた底知れぬ森がある。
 最初を除いて、彼女は「皇太子妃になるべくしてなった人」というか「皇太子妃にしかなれなかった人」という感じだった。逆算して書いてしまっているというか。彼女の魅力は、女性としてでも、ヒロインとしてでもなくて、皇族になる人の魅力でしかなかった気がする。
 初登場で、カヲルに向かってまっすぐソフトボールを投げた少女の躍動感は全くない。作者が不二子を造形するときに、藤壷のごとき完全な「高嶺の花」にするのか、血の通った存在にして彼女の苦悩まで書ききるのか、ちょっと中途半端だった感がある。
 カヲルの方も、光源氏タイプと思えばいいのかもしれないけれど、「あんたは何人の女に『最後は君の所へ帰る』てなことをにおわせてるんだ!」と思った。どうして結婚したのかも今ひとつわからないし、エトロフに移り住んだ理由もわかるような、わからないような。いろいろ理屈をこねてても、男性機能が回復すればもうOKで、帰っちゃうんですか?

 3冊二日で読んだくらいだから、すごくおもしろかったんだけど、一言で言うなら、主役二人に魅力が感じられなかった、ってことかな。脇役はみんなよかったんだけど。一番好きなのはアンジュ。彼女には血が通っている。

 それから、やっぱり不二子には雅子妃の面影がちらついて、女性週刊誌立ち読みに行ってしまいました。
 まあ、こういう小説がちゃんと出版できるのはいいことだ。

 (間違えて一度白紙でアップしちゃいました)

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シンガポール戦

 もうね、ジーコジャパンには夢も希望も持てません。
 シンガポールが点を入れたときには「行けー!もう1点とっちまえ!」と叫びましたよ。でも、現地まで行っている某先生のことを考えて、日本を応援しました一応。
 セルジオがだんだん怒ってくるのがおもしろかった。「堀池!」なんて呼び捨てにしてましたしね。他の方々もなんか奥歯に物が挟まったような物言いになってきましたし。
 山田さんが「ジーコのためならがんばれる」と言ったので、応援してきましたが、山田さんが干されてしまった今、なんの未練もありません。坪井なら、他の監督でも選んでくれるんじゃないかと思ってるし。
 加持さんも前半の上がりはよかったけど、肝心の守備があれではね。加持が上がると、三都主が自重する。結局片方はこらえなければならないんでしょうか?
 小野君は、海外組の中では一番がんばっていた気がします。後半消えかけてたときもあるけど、最後の方、キーパーへのバックパスをものすごい勢いで追っていったの、小野君でしょう?
 中田は、すごさも、はっきりものを言う大切さも(特にこのチームでは)わかるけど、その割には、本人もミスが多いよね。スポナビの梶原弘樹さんのコラムに同感です。
 

「ここ最近、主将を務める中田選手は、試合の1日前に戻ってきて「みんなちょっとだれている感じもする」などとコメントし、思うようなゲームができないと「個人の気持ちの持ち方が問題」などと指摘して翌日には颯爽(さっそう)とイタリアに帰ってしまいます。

 まあ、彼の言う「ぬるさ」は、中田選手自身にはないんでしょうが、彼だって「ジーコジャパン」の一員なんですよ。しかも、キャプテン、そんな他人のふりはしないでください。
 誰かが勇気を持って、ジーコを下ろし、そしてまた誰かが勇気を持って、日本代表を再生させて欲しいです。
 

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